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現住所は空の下

『現住所は空の下』高木護著 未来社の続きです。1989

山口さん

 昭和八年三月、わたしは村の小学校へ入学した。体が弱くて、一里ある本校まではとても通いきれなかったので、隣部落にあった分校に通うことになった。一年生から四年生までの十二、三名の生徒がいたが、先生は一人おられるだけでいわゆる複式授業であった。
 わたしは学校には一週間のうちに二、三日通うだけで、休んで遊んでいる日が多かった。
熱が出たり、頭が痛くなったり、咳き込んだり、テンカンのように引きつけを起こしたりするからだった。
 学校を休んだ日は、家のすぐ下手てにある小川のゆらゆら揺れる木橋を渡って、天満宮さんの石段を一、二と数えながら、上がった。
 小さな山の麓にある天満宮さんには、小鳥たちがやってきたり、虫が翔んできたり、狸や貂(てん)を見かけたりすることもあった。
「なんていう、鳥かいた」
 なまえを知らない小鳥がいたら、小鳥自身に訊いた。勿論、こたえてくれないから、
「あんたはバカゴニヤたい」
 こちらで勝手になまえをつけた。"ゴ二ヤ"というのは方言で、小鳥のことだったが、小鳥のうちでも小さな羽根の美しいものをそうよんでいた。
 ある日、また学校を休んだので、ゆらゆら揺れる木橋を渡り、天満宮さんの石段を上った。いしだんの数は二十五しかないのに、一、二と数えて上がると、いつも数え違った。天満宮さんのお堂は梅、山椿、樫などの雑木に囲まれていた。お堂の下から、茶色の羽根の小鳥が翔び立ったので、
 「なんていう、なまえかいた」
 訊いてみた。こたえてくれるはずもないので、
 「あんたはチャゴニヤたい」
 といってやろうとしたら、
 「あれはミソサザイですよ」
 代わりに、だれかこたえたので、わたしはびっくりした。
 「だれかいた。ものをいわしたっは、だれじゃろうか」
 わたしはおっかなびっくりで、あとずさりをした。
 「ぼくですよ」
 お堂の裏から、見知らない男が出てきた。
 「驚かせて、すまんです」
 男はぼうしを被っていたが、こんにちはというように脱いで、笑いかけてきた。
 「ここに泊めてもらったのですよ」
 「お堂にかいた」
 「よく眠れたから、おかげで疲れもとれましたよ。もう一晩泊めてもらうかもしれませ ん」
 「ほんなら、かんじんのごたるたい」
  いいかけて、わたしはやめた。お堂にはかんじん(乞食)のような人たちも泊って行 くことがあった。男は村の兄しゃんたちくらいの年に見えたし、着ているズボンも、シ ャツもちゃんとしていた。お堂に泊って行く、かんじんのような人たちは、みんなよぼ よぼの汚れかぶった爺さんたちだった。
 「ぼくは山口といいます、歩いて、ぶらぶら旅をしている者です」
 男はいった。わたしみたいに小学校に上がったばかりの子どもに、丁寧な言葉遣いをす るのも珍しかったが、ぶらぶらというのも、旅というのも耳新しいことばだった。
 「ぶらぶらかいた」
 「きょうはどこまで行くと、決めてないから、ぶらぶらですよ」
 「旅かいた」

***

「きょうはどこまで行くと、決めてないから、ぶらぶらですよ」
ちゃんと礼儀正しく ものをいう男の人が お堂に泊っているんですよね。鳥のなまえだって「ミソサザイ」とちゃんと知ってる人。
こどもの高木さんはかんじんさんかなと(乞食)思いかけたんだけど いうのを止めるのですね。「閑人」という字が「かんじんさん」を転換すると出てきたりして なんかいいなあと思いつつ。
わたしは おそらく死ぬまで こういうことができないと思います。このこたつの前の安全そうなところにいても 不安はやってきます。ぶらぶらさんは 死んでしまっても ぶらぶらができるんだろな。続きを書きたいけど ちょっと失礼します。


つづき

「この村もいいところですね。山もあり、小川もあり、魚も、鳥もたくさんいるようですからね。しかし、他にも村がありますよ。町がありますよ。湖も、海もありますよ。まだまだ美しいところも、やさしいところもありますし、いろんな人たちも住んでいますよ」
「ーふん」
 男の顔をわたしはぽかんと見上げた。天満宮さんの杉の皮の屋根の上には、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。子どものわたしにぶらぶらとか、旅とかがわかるはずもないのに、ぶらぶらや旅というのは、あの白い雲のようなものかもしれない、と思った。
 男は山口さんといったが、山口さんは大きな袋から、スケッチブックを出して、さらりと小鳥の絵を一枚描いてくれた。
「へたですから、鳥に見えますか」
「見えるですたい」
「さっきいたミソサザイのつもりですよ」
「上手ですたい」
「ぼくはこれでも、ぶらぶらの旅をおえたら、画家になりたいのですよ」
「画家にかいた」
 画家というのはどんな人なのか、わたしは知らなかったが、山口さんが画家に見えてきた。でも、山口さんが描いてくれたミソサザイの顔はネズミみたいだった。
 翌日も、学校を休んだので、天満宮さんの石段を上ってみた。だれもいなかったから、「山口さん」とよんでみたが、返事はなかった。お堂の板張りに、画用紙が置いてあった。見ると、「サヨナラヤマグチ」と書いて、重し代わりに小石をのっけてあった。
 わたしは樫の木に登った。そこから、村道が見えた。
「山口さん、さよなら!」
と叫んだ。

***

「山口さん」を読み終えて ふっと「これは本当の高木さんの話だっけ?」とあたりをさぐってみましたよ。 疑り深いわたしらしい態度だけれども これは今ではどこにも落ちていそうにない話のように思えたからでした。でも体が弱くて 熱が出たり 頭が痛くなったり 咳き込んだりなんてところは 何処か自分の子どものころのようで なつかしいにおいがしました。そして 一人で 村のはじっこまでいってみたり おとなとしゃべってみたり たのまれもしないのに 乳母車をおしてみたりしていた 子どものころを思い出したのでした。
「学校を休んだ日には 家のすぐ下手にある小川のゆらゆら揺れる木橋を渡って、天満宮さんの石段を上った」高木さんにとって 学校は休んでもたいしてしかられないものだったのだな とすこし思いました。一里というきょりがどのくらいなものかわたしにはわかりませんが わたしの小学校もそうとう遠かったです。幼稚園から中学校まで 毎日 学校行きが待っている。教室でじっとすわってるのも 何と長いこと 今考えるとそう思います。「がっこうはいやだ」と叫べば 奈落の底に落ちて バラバラになってたかもしれません。そう言う考えを発見しちゃあいけないんだと。
なんだか自分の話になってしまいましたが 
 高木さんは こどものとき この「山口さん」との出会いで 「ぶらぶら」ということばを聞かされ 高木さんの中で あるというのか。なんでも なんかのきっかけで 言葉は人の中に住むようになるのですね

さいならさいなら
  

《 2015.11.17 Tue  _  1ぺーじ 》