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モネの青

『色彩の冒険者』中山公男の続きです。

モネの青

今日は日曜美術館にてモネの「睡蓮」を見ました。そうだこのことは中山さんの「色彩の冒険者には関係ないですね。でも私はいま「青」が絵の中でどう生きているのか この人の話から興味があるんです。
私の子どもの頃らから持っている画集のなかにはモネはありません。子どもの頃からともにある画集は いまだもって印象深くあり続けているのですが。
ルーブルのある睡蓮の絵は 驚くでー 実際いってみんとわからんわ そういわれます。
モネは水鏡 つまり 水もに映る 色彩やタッチに魅かれていました。私も高校時代通学途中の橋の上から その川の水のふふかしぎさに見入っていたものですが 水ほど きらきらひかったり 中身が透けて見えたり 生きものがいたり 魅力に溢れたものはありません。
モネは睡蓮のあわいピンクとグリーンの浮いてるかのような葉。水の青やほんの少しの赤で とまらないその水面の姿を描きました。その青はまるで空の色であったりします。そうか 水色ですよね。 朝から晩まで水辺の色の変化を追いかけるなんて 本当にご苦労さんですね。取り憑かれた人はすごいなあ。 私ですか 他にも面白いことがあったら 移ってますね(笑)
後にモネは白内障になっていますが おひさんにあたりすぎたんでしょうね。サングラスしたら 色は見えないしね 裸眼だとね。なんてことも考えながらね。

はなしはかわりますが 物事に取りつかりやすい人って 子どもの頃からあって そのまま環境さえ許せば のこるんじゃないでしょうか。モネはどうだったのかな。ゴッホはそんな感じですね。こんなこと書いても だいたい「とりつかれやすい」と書けば 呪われた人みたいだし 「とりつかりやすい」なんて表現あるのかなあ

さいならさいなら
《 2015.11.15 Sun  _  ちまたの芸術論 》