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ヴァン・ゴーグ

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印象派時代 福島繁太郎著 光文社 昭和18年

ヴァン・ゴーグ

  オランダに帰り事ドルドレヒトの著名な書店の店員となった。ゴーグは古都の落ちついた雰囲気と自由に本が読めることを深く喜んだ。その中にある学識ある牧師と知り合いになったが、牧師が彼にもっと学問するようにすすめたので、神学校の予備試験を受けるに必要なラテン語とギリシャ語の学習のためアムステルダムに赴いた。彼はアムステルダムに到着後数カ月は一心不乱に勉強してその上達はめざましかった。いつしか貧民街をさまよい歩くようになり、第四階級の陰惨な有様を見ると、この哀れな人々への同胞愛が狂的にたかまった。神学校の予備試験のようなまどろっこしい事はしていられなくなって、突然その受験を放棄してすぐさま伝道師になることを決意した。彼の一本気な性質が周期的に狂的にまでたかまる傾向がしばらく顕著になってきたのである。この周期的精神の興奮はゴーグの作品を観察するにおいては考慮にいれることが必要である。
 ゴーグはそれでも数カ月の準備教育のおかげで、フランスの国境近くの炭坑に伝道師として赴任できた。たまたまこの地にチブスが流行し、その惨状は言語に絶するものがあった。彼は文字通り挺身看護と慰安につとめ、金も所有物もことごとく投げ与え、心身とも疲れ果てた。急を聞いて駆けつけた老父は、彼が寝具もない小屋の中に半死半生になって藁の上に横たわっているのを見出した。父はすぐさま彼をその住所エッテンに連れ帰った。 エッテンに帰ってからは狂的な興奮は鎮まった。そして父の許にあって静かに絵を描き始めた。もっとも石炭山にいた頃も、ミレーの版画を模写したり、鉱夫たちを写生したりすることはあるが、画家になる決心をしたのはこの頃である。1879年で、すでに彼は二十六歳に達していた。

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伝道師になる勉強を頑張っていました。ところがいつしか貧民街をさまよい歩くようになり 学校の勉強よりはやく伝導師になってそういう人たちの助けをしたいと思うようになるんですね。そう思い出すと精神の興奮が高まってどうしょうもなくなるんですね。そしてフランスの国境近くの炭坑に伝導師として赴任しますね。その土地ではチブスがはやっていて そんな惨状に金も所有物もささげ 半死半生になる。
実際こんな人がいたら 家族や親戚も 大変ですね。

話は変わりますけどね パソコンでの目も守ってくれる老眼鏡を買ったんです。よー見えるわ。考えてみたらパソコンって下と向かいを見て打ってるんですよね。今ごろ こんなこと気がついた私です はい。

さいならさいなら


《 2015.11.14 Sat  _  1ぺーじ 》