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クレー

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コレクション 瀧口修造 幻想画家論 1991 みすず書房

クレー

 そのころのクレーの風貌をグローマンはつぎのように語っている。かれはまだ口髭を蓄えていた。
 一風変わった裁ち方の服と毛皮付きのキャップが町の人目を惹いた。高い額、暗い褐色の眼、アラビア人のような黄色の皮膚などが奇妙な印象をあたえた。かれはゆっくりと歩き、また慎み深く話をした。そうした態度には、かれの母親がアルジェリア出であるという伝説を想わせるものがあった。 かれは話に熱中すると、文章のかわりに一語だけをぽつりと発音する。また一つの文章をまるで譬喩(ひゆ)のように語る東洋風の癖があったともいわれている。クレーは個人的論争や口論にはいつも超然としていた。そしてバウハウスでは「あらゆる道徳的な問題についてのオーソリティー」として教授からも学生からも尊敬され、「天なる父」と渾名されていた。
 毎朝、クレーは公園を通り、ゲーテの家の傍らを通ってバウハウスにかよった。
かれはこの路すがら小鳥や昆虫たちの動きを眺めたり、人の年齢と季節の変化との一致について思索したりした。また冬の日、かれよりすこしおくれて同じ路を通る息子のフェリックスのために雪の上に符号を書いて置いたーそしてそれが作品に描かれることもあった。こうしてクレーの芸術は日々の生活と密接に結びついていた。(「近代芸術について」と題したイエナ大学での講演[1924]の構想が生まれたのもこうした環境からであった。)

***

きのうの「色彩の冒険者」中山公男では 「セザンヌに比して、クレーにおける、透徹した造形思考と詩的な心情との結びつきはもっと単純で明快だ。かれの用いる赤、ピンク、黄、そして青は、いずれも澄みきっている。それは、明るくはあるが、しかし南国の空の明るさではない。カイルーアンの太陽で色彩に開眼したという彼は、しかし依然として高地の人種、そして夜の人種である。きらきらと輝く太陽ではなく、「真っ黒な、心の中にまで貫通する光」に憑かれる。たとえば、水辺の反映の明るさではなく、岩かげの部分の水が底まですきとおって見えるような、そうした明るさを愛する。彼の青は、そこにみいだした青だ。」

そういっていますね。

クレーの「青い夜」はどうでしょう。

さいならさいなら


《 2015.11.06 Fri  _  1ぺーじ 》