『ブロンテ姉妹』その知られざる実像を求めて 中岡洋 NHK
まだまだブロンテ姉妹の両親の話ですが...
マリアの恋文
四ヶ月足らずの間にマリアから九通の恋文が書かれており、そこからマリアの性格を想像することができる。彼女の手紙には控え目な書き方のなかにも将来への夢と期待が滲み出ている。たとえば、六通目の手紙において、ジェイン・フェネルが21歳の誕生日を迎えるので、長い詩を書いてほしいとパトリックに伝えてきている。おそらくパトリックがマリアに詩を書き送っていたからであろう。
またこの手街には1812年10月8日(木)にカークストール・アビーへ遠足に行くので、パトリックにも来るように書いてある。
わたしの従妹は、21歳の重要な年齢に達するお誕生日に長い詩を期待しているとわたしに言ってほしいと言っています。ミスター・フェネルもわたしたちといっしょになって、木曜日には、お天気などが許せば、アビーへ行くことにしたから、水曜日にはあなたも必ずこちれへおいでになるようにとおっしゃっています。
(パトリック・ブロンテ宛 1812年10月3日付<土>/拙訳
彼らはたしかにカークストール・アビーを散策したのであろう。このときのことをパトリックは詩に歌った。次の詩がそれである。
想いみよ もしわれわれが しばしば 不思議がる群衆とともに
そして彼らの生き生きとした空想が翼に乗っている間にー
美しいカークストール・アビーの廃墟へ赴く
羊飼いたちの言うことを信じてよいのなら
彼らには 美しい音を奏でる楽師が歌うのが聞こえるのだと
(Kirkstall Abbey,11.160-64,The Rural Minstrel,/拙訳)
マリアの恋文は、彼女がまことに聖職者の妻になる女性としてほとんど理想的な人物であり、深い愛情と尊敬の念をパトリックに抱いていたことを物語っている貴重な記録である。最後の恋文は1812年12月5日付(土)で、結婚式に備えて来週からケーキ作りを始めるとある。結婚式は12月29日(火)に予定されていた。
***
結婚式に備えて来週からケーキ作りを始めるとある
この時代のことだからなにもかも手作りで
パトリックの詩では「美しいカークストール・アビーの廃墟に赴く」どんなところなんやろ。 一人の人が書く詩が 21歳のジェイン・フェネルの誕生日のために書くとか 詩が人々の中で 大切に扱われてるような気がしますね。
もう少し本文を続けてみようかな。
パトリックとマリアの結婚式当日、1812年12月29日(火)、彼の親友であるウイリアム・モーガンとジェイン・フェネル、それにマリアの妹シャーロット(1791−1848)と従兄のジョン・ブランウエル(1789−1857)の三組の結婚式が挙行された。パトリックとマリアはモーガン師の司会によって、ジェインとモーガンはパトリックの司会によって、ヨークシャー、ガイズリー教区のセント・オズワルド教会において挙行された。一方シャーロットとジョンはペンザス教区教会マドロンで挙式されたのである。
このようにしてブロンテ姉妹がうまれてきた。一方は海の向こうの貧しいアイルランドから、もう一方はイングランド南西端の「地の果て」豊かなペンザンスからやってきた同じケルト民族が、縁もゆかりもないヨークシャーの地で出会い、ケルト的な熱い情熱によって結ばれたのである。
***
「アイルランドとペンザンスからやってきて ヨークシャーの地で出会いケルト的な熱い情熱によって結ばれたのである」
かのイギリスという土地はよくよく歴史をはらんだところなんだと わたしにもわからせてくれます。さかのぼらないと 話はなりたたないというのか 運命がそうさせたというか。さあパトリックとマリアは結婚しました。それからどうなっていくのでしょう
さいならさいなら