『現住所は空の下』高木護著 1989 未来社の続きです。
死に甲斐
なにかの役に立ちたいとか、何かのためになりたいとかとは一切思わないことにしょう。自分は自分であるからである。半人前なら半人前でよしとして、半人前のくらしやたのしみを見つけることにしよう。一番好きな仕事をやり、自分の世界を創りあげ、気ままに、自由に、のんびりやって行くことにしよう。何をしていようがどこに住んでいようが、行く先はあの世でしかないから、あわてることはない。落伍したらしたではいいではないか、自分の足とリズムでぶらぶら生きて行くことにしようーと、これらのことを思いついた。
要は自然のまま流され、吹かれながら生きて行きたいというのであった。この世にうまれてきたお前はたしたものではない。人間と言う生きものでしかない。それもできそこないだから、より人間になる修行はおこたってはいけないが、たいしたことはできないだろうし、生きているだけがやっとだろう。それならば、ひと月生きていられたら、ひと月の儲けものだと思え。一年生きていられたら、一年の儲けものだと思え、めしにありついても、酒にありついても、寝床にありついても、儲けものだと思え。よかったな、幸せだなと思え。 ぶらぶら歩いているうちに、そんな声まで聞こえてくるようになった。
「こぎゃんもんでも、何とかやって行けそうな気がしたばな」
「おまえの行く末を、どぎゃんこつになるもんかと案じとったが、よかったじゃなかかい」「ぶらぶら歩きよるうちに、行き倒れになるかもしれん、野垂れ死にするかもしれんばいと思っとったばな。でもたい、そんときはそんときたいと、覚悟ばしとったばな」
どこか眺めのいいところで、眺めをたのしんでいるうちに、ぷつんと息が切れないものか、と望んでいた。
「だがな、その日くらしばといいよるが、その日くらしでもたいへんじゃ」
「たいへんなこつはわかっとるたい。だけん、たいへんをたのしくしてやるつもりばな」
ちょっとしたことでも、たのしいものにして、一日でもたのしくやって死んで逝きたいものだと思った。これからのわたしにとって大事なのは、生き甲斐よりも、死に甲斐であった。
***
「より人間になる修行はおこたってはいけないが たいしたことはできないだろうし、生きているだけがやっとだろう。」
高木さんのこのページで わたしは なんもいうことがないのです。ぴーさんがいつかいっていましたが 「ありがたいおことば」のようです。
さいならさいなら