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ポール・ポアレと純粋芸術

『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳 1964の続きです。

ポール・ポアレと純粋芸術


 ピカソをかなりたびたび訪れるもう一人の俳優があった。アリー・ボールだった。彼はジュランとは反対に、騒々しく、出しゃばりで、自信たっぷりだった。ピカソは彼に「エル・カポ」という渾名(あだな)をつけたが、彼も戸を叩いて名を言う時には、いつもこう叫ぶのだった。「エル・カポです!エル・カポです!開けてください、私ですよ!」
 彼は文学で自分の力量を試みていた。それで私たちは互いにがっかりしたといった眸(ひとみ)を投げかわしながら、彼の空虚で退屈で、しかも長ったらしいエッセイの朗読を拝聴させられたものだ。
 私たちの仲間の一人で、数学者のプランセもまた毎日やってきた。
 それから、リモージュの製陶家の息子で、フランク・アヴィランという青年が来たが、かれは裕福で、物腰の上品な若いブルジョワで、皮肉で、陽気な一党の面々を「魅惑した」。彼は心からピカソを尊敬していた。そしてピカソのもっとも熱心な弟子になった。彼はただ一つの欲望、ピカソを模倣するという欲望しかもっていなかった。彼はそれを実行した....ああ!
 背が高く、金髪で、あまりに上品で、余りに若かった彼は、長い間、注意深い、慎ましやかな定連の一人になっていた。「金持ち」。金があっても大まかなところのなかった彼は、それでもその多少けち臭い性質が許す範囲内で、彼の新しい友人たちを援助していた。時々あまり値段の張らないデッサンや小さな習作を買っていた。彼はマノロを養った。そしてこの彫刻家がその日まで味わった日常の苦労から解放されて、仕事に専念し、セレに引きこもることが出来たのは、彼のお陰だった。これは彼の長所として認めなければならない。

***

「エル・カポです!エル・カポです!開けてください、私ですよ!」
このように ピカソをたずねる芸術家や俳優がいたんですね。これはオリヴィエの魅力もあったと思うんだけど どうかな。
人を引きつけるピカソ 絵を描きながら 彼らと会話をしていたんでしょうね。絵を描きながら、見ながら。 ピカソというのは人がいても平気で描いてたんですかね。 そうじゃないと多くの人が彼を訪れて 描いてる暇がないですよね。 ときには俳優の長ったらしいエッセイの朗読を聞かされたりもあるしね。
フランク・アヴィランという好青年は 芸術家たちを援助したんですね。金持ちの息子が芸術家たちを助ける。みんな貧乏画家や彫刻家だったからですよね。
そして「彼はただ一つの欲望、ピカソを模倣するという欲望しか持っていなかった。彼はそれを実行した.....ああ!」これはどういうことなんですかね。フランクも絵を描いていたのかしら? どんなふうに模倣していたのかしら?

さいならさいなら


《 2015.10.20 Tue  _  1ぺーじ 》