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スウラー

『印象派時代』福島繁太郎著 光文社 昭和18年の続きです。

 スウラーは、わづか32歳の若さをもって1891年病死した。ゴーグも夭折したが彼の芸術は完成の域に達していたといえる。スウラーは、彼の作品は円熟の域に達していたとはいえない。スウラーの芸術を非難するものは、興奮があまりに理知によって抑制せられ、理づめすぎるというであろう。
 鑑賞者にかくのごとき感じを抱かしむるは、なんといってもいまだ彼の芸術の若さである。いかに理知的であろうとも、その理知が画面の奥に秘められて、きわめて自然に素直に鑑賞せられるようにならなければ、円熟の域に達したものとはいはれない。スウラーが未完成の中に若死にしたことは認めなければならないが、素質においてはセザンヌやルノアールに匹敵するものがあったと、私には思われる。構成力は近代の随一人者であり、その情操の豊かにして高雅なる事も稀に見るものであった。
 スウラーはサロン・デ・ザンデパンダンの創立会員として、毎回多数の作品を飾って活躍した。スウラーの他界した翌年(1892年)には、アンデパンダンは46枚の油彩とデッサンを陳列して敬意を表したが、一般の評判は香しいものではなかった。印象派の先達の人々にさえとんと理解されなかった。1900年アンデパンが財政的に危機に瀕して売立てを行った時も、スウラーの大コンポジションは僅か27フランにしかならなかったということでもその当時のスウラーの位置が推しはかれる。キュビィストの擁護者(ようごしゃ)がスウラーをその祖としてかつぎあげるまでは、さっぱり認められなかった。フランスにおいてもスウラーが大画家として尊敬されだしたのはつい最近の事に属する。
 若死したから作品は少ない。日本に将来されたものは、私の知る限りでは習作がたった一点。日本でスウラーがちっとも知られていないのも無理がない。それに就いても残念に思うのは、スウラーの相当の作品を手に入れる機会に、たった一度であったがめぐりあいながら、遂にそれを逸してしまったことである。「化粧」がジョン・キーンの蒐集から出て画商ローザンベルグにあった。30号の完成された作品で、スウラーの本質が充分にうかがえるものであった。私にはいかにも金額が張りすぎるので躊躇している間にロンドンの大コレクションに入ってしまった。これを今せめてもの事に色刷りにしてお目にかける。
 スウラーの生命は大コンポジションにある事はいうまでもないが、風景画はしばしば描いた。静かな神経の鋭い絵である。クールヴォアのセーヌ河や、オンフラールの海景色など水を描いたものが多い。
 花や静物の作品を私は見たことがない。また記録を調べても見当たらない。印象派の出現によって一時忘れられてしまった古典的の大コンポジションに精通した彼にとっては、花や静物はコンポジションの題材としては物足りなく思われたのではあるまいか。

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スウラーは32歳の若さで死んでしまった。もっともっと描いてほしかったわけで そういうところからスウラーを見ていくと 一点一点が違った風に見えてきますね。
ここでいわれている「化粧」とは まえにお見せしましたね。9月19日の作品です。
若くして死んでしまったスウラーが尊敬されだしたのはつい最近のこと とありますが これは昭和18年に出された本ですから いまではスウラーはよく知られた画家ですね。
キュビストの擁護者達がスウラーをその祖としていったんですね。
その作品を理解する それはいったいどういうことをするのか 弱い頭で考えているところですよ

さいならさいなら
《 2015.10.13 Tue  _  1ぺーじ 》