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ブロンテ姉妹

『ブロンテ姉妹』その知らざれる実像を求めて 中岡洋 の続きです。

ケンブリッジ入学

 ブロンテの両親はこのような対照的な家柄であり、同じケルト民族とはいえ、一方はアイルランド人、そしてもう一方はイギリス人であるにもかかわらず、どのようにして出会い、結婚したのだろうか。二人の出会いを話す前に、なぜパトリックが裕福でもないのにケンブリッジ大学へ入学し牧師になることができたのかについて述べておこう。
 彼は農家の子どもが歩む典型的な人生を送るはずであった。出発はまさしく農家の子どもにふさわしい職業からであった。パトリックは長男であったため、十二歳のときから馬の蹄鉄を打つ鍛冶屋に奉公に出たが、場違いの優秀さに周囲の人々から「生まれつきの紳士」と褒められ、思わず抱えていた馬の脚を落としてしまったという。やがて機織りの弟子となり、近くのバンブリッジやニューリーへ反物を売りに行ったついでに、本を買った。パトリックが詩を朗読しているところを村人はよく目撃したと伝えられている。パトリックが熱心に本を読みあさっていたという事実は、ブロンテの姉妹の祖父、ヒュー・ブランティが教育を受けていないのに語り部であったことと関係していると思われる。ヒューは息子の読書熱心に眼を細めていたという。
 近所の農夫たちは夕食後、ヒューの家に集まって、彼の語るアイルランドの物語を聞くのが楽しみだったと伝えられている。ほかにすることがなかった当時の晩の過ごし方としてはごく自然なことであった。彼の語り部の能力は、ケルト民族から受け継いだすばらしい文学的才能であろう。ヒューは文字を解さなかったにもかかわらず、聖書と同様に国民的人気を博していた『バーンズ詩集』と信仰者には不可欠の『天路歴程』を持っており、エリナは新約聖書を持っていた。父親が持っていたこれらの本がパトリックの愛読書になったのは当然であった。夕食後、パトリックは壁に向かって『天路歴程』を読みふけり、父親は決して邪魔はしなかった。『天路歴程』はパトリックの愛読書となり、やがて娘シャーロットが書いた『ジェイン・エア』の下敷きとなったのである。

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『天路歴程』どんなことが書いてあるんでしょうね。私も読んだ『ジェイン・エア』の下敷きとなったんですね。
近所の農夫達は夕食後、ヒューの家に集まって、彼の語るアイルランドの物語を利くのが楽しみだったのですね。この環境 いかにも外国のアイルランドやね。こんな環境って日本にあるんやろか。趣味の同好会? テレビで近所が集まってプロレスみる日 ちゃうってそういう話じゃありません。テレビやなんもなかったころ 晩の過ごし方 こういうふうだったんですね。『ジェイン・エア』少しずつ思い出さなきゃ

さいならさいなら


《 2015.10.03 Sat  _  1ぺーじ 》