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1ぺーじ

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わたしの肖像 マリー・ローランサン 1924 マリー・ローランサン美術館

『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。

マリーの絵画

 人々は、マリー・ローランサンについては、まだ何も知っていなかった。
 アポリネールの影響と、彼がその中に彼女を引き入れた仲間の影響の方が、当時すでに彼女の心をおどらせていた文学方面より、はるかに彼女にとって力が大きかった。
 彼女は先ず令嬢としての学業を修め、次にクリシー大通りのウムベールが塾に通ったことは、前に述べたように思う。ブラックも彼女と同じ頃、そこで勉強していて、画学生たちが面白がって彼女をからかった話を、私たちに聞かせたものだ。
 アポリネールがいなかったら、マリーは、マドレーヌ、ルメールや落伍したルイズ・アベマなどと大して変わらない道をたどったであろうことは、疑う余地のないことである。
彼女が自分の力を発揮し得たのは、少しは他の連中に負うところもあるが、最も多くをアポリネールに負っている。彼女は甚だ独創的で前衛的な周囲から何を取り入れるべきかを、直に理解した。彼女はその気質と本能に押されて、独創的な方へ進んだので、これをはやく実現することが出来たのである。
 彼女はすでにペルシャ芸術のあるものを汲み取っていた。彼女が古い出版物「令嬢日記」を掘り出してきて、そのバラ色、灰色、青、白で色づけされた押し絵の魅力に動かし難い啓示を受け、真に進むべき道を見出したのは、ずっと後になってからのことだった。
 ある日、わたしは彼女の家で、この日記から切り抜いて、円形浮き彫りの額縁に入れた小さな版画を、マリー・ローランサンの肉筆だと思い込んだことがあった。それにしても、恐らく本質的な手段が欠けていたためか、彼女はそれ以上に進展しなかった。にせのあどけなさに結びつけたと思われる奇策は、彼女のコンポジションの不思議な効果の一つである。
 真の自然さのない、奇怪さの勝った、こどもっぽい不器用さから生ずる特殊な魅力に助長されて、彼女は自己の職業に腰をすえ、辛抱強く仕事を続けることをよく知っていたので、彼女に予約されていた芸術家としての位置を勝ち得たのである。
 最初のうちは画商も、愛好家も、仲間も、彼女を真面目に扱わなかった。
 ピカソにそそのかされて、スタイン兄妹が初めて彼女の絵を一枚買ったのも、面白半分からのことだった。それは彼女が交際していた数人の芸術家の群像で、かなり大きなコンポジションだった。

***

マリー・ローランサン、彼女は最初からえらい人気のある画家だと思っていました。
スタイン兄妹がピカソにそそのかされて面白半分に1枚かったのがはじめなんですね。
アポリネールに負うところが多いんですね。

「彼女は甚だ独創的で前衛的な周囲から何を取り入れるべきかを、直に理解した」

「ペルシャ芸術のあるものを汲み取っていた」

「バラ色、灰色、青、白で色づけされた押し絵の魅力に動かし難い啓示を受け」

「にせのあどけなさに結びつけたと思われる奇策」

「真の自然さのない、奇怪さの勝った、子どもっぽい不器用さから生ずる特殊な魅力」

「そして辛抱強く自己の職業に腰をすえ仕事をつづけたのが芸術家としての位置を勝ち取った」

そうなんだ そうかな ゆっくりマリー・ローランサンを見てみようか

さいならさいなら


《 2015.09.10 Thu  _  1ぺーじ 》