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クレーって

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『コレクション 滝口修造』1991年 みすず書房の続きです。


クレー

 クレーは1899年に両親にあてて「疑いもなく絵画はあらゆる芸術のうちでもっともむずかしいものです」と書き送っているし、日記には「表面の外見だけを反映しないで、神髄をつらぬくこと」とか「私がほんとうの心をうつす。私は言葉を眉の上に書き、口の周囲に書く。私の(描いた)顔は現実の顔よりも真実である」とも書いている。
 クレーは1901年の秋に数カ月間、彫刻家のヘルマン・ハーラーと一緒にイタリアを旅行する。ミラノを振りだしに、ジェノヴァ、レグホーン、ローマ、ナポリと経めぐって、1902年5月にベルンに帰っている。ローマでは、ブルクハルトの『チチェローネ』を携えてローマの遺跡を見たり、またドゥーゼや貞奴の芝居、「マイスタージンガー」などを見ている。そのあいだタキトゥスの『歴史』、アリストパネスやブラゥトウスの劇、クセノポンの『シンポジオン』などの個展を読んだり、とくにゲーテの『イタリア紀行』を愛読して「ゲーテは唯一のすぐれたドイツ人だ、私もこのようなドイツ人になりたいと思う」と書いている。レオナルドやミケランジェロ、ボティチェルリなどのルネッサンス絵画にもそれぞれ打たれたが、ポンペイの壁画を見て日記につぎのように書いているのが注目される。「このシルエットや装飾的な色彩の進んだ用いかたに私はすばらしい示唆をあたえられた。私はそれを私流に解釈する。あれらは私のためにつくられ、私のために発掘されたのであり、私に勇気をあたえてくれた」とあり、つづいて「何ものも模倣してはならぬ。自分の生きている時代でないものをこころみようとすることに、私は疑問をもつ」と書いて、現代の仕事を自嘲しながら「おそらくこんなことでは私は積極的にはなれないだろう。とにかく野獣のようにたたかわねばならぬ」と決意のほどを示すのである。しかしナポリで水族館を訪れた彼は驚きかつ悦んでいる。そこでは、章魚(たこ)が一人の画商の顔に似ていた。そして「自分がはたして第二のベックリンであるかどうか」と問うている。

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クレーはそのころポンペイの壁画に魅せられたわけなんですね。「このシルエットや装飾的な色彩の用いかたにすばらしい示唆をあたえられた」 そういっていますね。「それを私流に解釈する」 示唆 私流に解釈する
私はない頭でこの言葉を想像してみたのですが この言葉が 「ありのままをうつすのではなく 示唆 私流に解釈する」がクレーのような絵なんじゃないかと思ったのでした。
「野獣のようにたたかわねばならぬ」これはクレーの絵のイメージの一部分なんでしょうが ピカソの時代に野獣派があったように 戦争があったりして 「たたかう」はまさにあの時代を形にしたようなものだったんでしょうか? いやそれとも...

私は抽象画とかクレーの絵だとかは自由や気ままの象徴のようなものだと感じ続けていたのです。しかし 新しい表現を勝ち取る事は 文字通り闘いだったのかもしれません。
 
「章魚が 一人の画商の顔に似ていた」これはどういうことなのかなあ
これ笑うとこ それとも芸術上の 大変なところなの? 「第二のベックリン」とは...
この本 案外まじめでむずかしいですわ

「私は言葉を眉の上におき 口の周囲に書く」どういうこと? クレーって真面目なんだかおかしいのか

選んだ絵は クレーらしからぬといっちゃなんですが なんかいいなあ。30歳の時の作です。 そのころセザンヌの絵を見ていますね。

さいならさいなら



 
《 2015.08.25 Tue  _  1ぺーじ 》