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思い出をのぞく戸

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1985年のはなし

父の命日は3月15日です。
その年の約1ヶ月後娘が生まれました。
生まれ変わりかと思ったほどです。子育てや家庭のことは忙しく 父の事を思い出すことは あまりなかったようです。
 ここに父が写ってる4枚の写真があります。一人で写っています。じつはこういう写真は少なかったのです。父は中学校の校長先生だったので 記念撮影で生徒さんたちと写る機会は よくありましたが 一人で写ってるのは少ないと 母も私に写真を送るだんになってそう言っていました。それでも 私は父が一人写っている写真がほしかったのです。

父の思い出話をしながら その写真をどうしたかもおはなしします。
一枚目は姫路師範学校の時代のもの。昭和1年です。18歳位ですか。父は明治41年に生まれています。正確な計算ができないので こんなかんじです。丸い眼鏡をかけて桜の印のついた学生帽をかぶっています。 父をこの姿で歩かせてみましょう。どんな靴を履いて姫路の町を歩いていたのでしょう。父は胃腸が弱く きっとかき氷などは食べなかったと思うな。授業の時の先生はどんなだったのかな。美術の先生の名前をよくいってました。にっぽんでは有名な画家でした。「こいそ先生」っていってたかな。父は絵が好きでした。この先生の影響かもしれませんね。
父のその時代の話 聞いた事がありません。 母の話は明石師範学校での友だちの話 先生のあだな 寮の舎監 ふろたきおじさんの話などいっぱい聞きました。私は父に話を聞こうともしませんでしたし だから父も話すチャンスがなかったのでしょう。私の夫は学生時代の事から 親子の事いっぱい話します。考えてみれば戦時中を生きた父は まだあの時代の空気をどこかに漂わせていたのかもしれません。ゆとりがないというか。息子らには厳しくてね。

次は 山高帽に3つ揃えの背広を着た父です。青年のふっくらした顔をしています。学生時代の銀縁の眼鏡が こんどは黒い輪郭のはっきりした丸い眼鏡にかわっています。胸ポケットからはハンカチがのぞいていますよ。
この時代の人は服装や眼鏡をかえることで 新たな方向に歩みだしたのかなあ。今でもそうなんでしょうけど この一枚は一張羅の一枚って感じがします。
兄は両親が昭和10年に結婚して一年ほどして生まれています。父は一人っ子です。母は7人兄弟です。ふたりとも先生で共働きです。

学校の先生は「おはようございます」といいます。けっこうデリケートそうな父は どんな顔をして たくさんの生徒に「おはようございます」といったのかなあ。祖父母だって心配してたかもしれない。「同じように働いてても お父ちゃんにはごくろうさんといってさとぶぶやで(さとうみず)」母はいってました。母もよくしたもので 同じ神戸で学生だった弟とこっそりビフテキを食べに行ったそうです。
働いている間は 祖父母が2人の孫をみていました。
さしひき なんともいえませんがね。

こういうとき うちだけだったかもしれませんが 祖父はおだやかでよめにも「こらえてやってな(しんぼうしてな)」などと祖母の事を言ってたらしいですよ。
でも祖父母は恋愛結婚で なかがよくて 昭和20年まず祖母が亡くなり その後祖父が亡くなりました。

父の3枚目の写真は校長先生になりたての頃のものです。昭和20年には神戸の家は焼かれ神戸から父の兵庫県の福野村にかえっています。 昭和24年に私は生まれ 父はしばらくして校長先生になっています。

背の低い父のくせは 背伸びをして立つ事です。今から思えば ちょっとでも高く見せたかったのかなあ。癖になる位ですからね(笑)おしゃれでしたよ。父のひきだしのなかにはカフスボタンやネクタイピンがごちゃごちゃ入っていました。ライターだって変わったのがありました。私は毎度その引き出しを開けて よろこんでいました。

上は3人の男の子。その間に生まれた女の子は赤ちゃんの時に亡くなるし 5人目に出来た私は かわいがられました。6つ年上の兄はいじけて「ぼくなんていらん子やもん」と赤ん坊のおもちゃを見て言ったそうです。「いこちゃんにも(兄) おもちゃ買ってきてやってな」と母はいったそうです。

4枚目の父の写真はカッターシャツを着ています。肩のすぐ下辺りに「あげ」がしてあります。ネクタイピンも見えます。

私は父のこれらの写真を木の切れ端で額を作って入れてみました。こういう真面目な事をするのは珍しいです。生前父には反抗しましたからね。父の手作りのものをやさしく褒めた事がなかったように思います。酒飲みだと思ってたし 怒りだすといやだったし。でもそればっかりじゃなかったと なくしてから気がつくんですよね。私の今までやってきた事は父の影響じゃなかったのかってね。

父親も母親もあの時代 苦労だらけです。それはその時代のみなさんの苦労ですが それにたいする理解というか なかったなあと思います。母は神戸大空襲出逃げまわった事を何度も話しました。空腹の辛さも。子供達に食べさせてやれなかったと。
テレビで戦時中のはなしを見たり聞いたりすると 戦争は同じ日本人でもお互いひどい事をするし 戦争相手にも相手からも爆弾がおちてくるし よその国の人々にひどいことをしてしまったし された日本人も。 こんな混乱は 人間のいちばんひどい行為だし あとで後悔の種になりつづけます。

父の4枚の写真の話はこれでおしまいです。したことがありますかね?
いずれまたするでしょうね

 
《 2015.08.19 Wed  _   》