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1ぺーじ

『音楽と文化』河上徹太郎著 昭和13年の続きです。


ベルリオズ

 ベルリオズの学習時代はあまり恵まれていなかった。先生のレシュウルという人も凡庸だし、作曲法や和声学も大して極めた訳ではなかった。しかもピアノが弾けなかったことは相当のハンディキャップを彼に課した。かくして彼はその優れた鑑賞力でグルッグやベートーベンから模範を借り 優れた想像力で管弦楽の各楽器の個性的な対象から光彩を産み出した。まったく彼は管弦楽曲より作ったといってよい。そして当時の楽界の事情では、管弦楽曲を発表するには大抵の場合自分のポケットからまづ写譜代を払い、楽手をやとってかからねばならなかった。しかも管弦楽法の上で大()な彼の曲は必ずしも常に楽手たちにいい顔をされるとは限らなかった。 そう云う苦労を重ねた彼は、どんなにピアノ一台で演奏旅行の出来るピアニストを羨んだことだろう。 晩年に息子にあてた手紙の中で、リストが宮廷でピアノを弾いて皇帝を征服してしまい、レジョン・ドヌウル勲章を授けられたのを報告して、「ああ、人間にして唯ピアノが弾けさへすれば!」と嘆息しているのは、諧謔的な言葉であるとともに、彼の実生活並みに音楽修業の上からいって深刻な嘆息でもある。

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いやあ 暑い。この続きは また。ごめんなすって!

ちょっと風がきましたぜ。

Rosemary Brownの「詩的で超常的な調べ」国書刊行会によりますと リスト1811年生まれとベルリオーズ1803年生まれは接点があるようです。彼らが1830年12月4日にパリで初めて会って以来親友の間柄になったといいます。
ベルリオーズは若い頃からシェイクスピアに深く傾倒していたそうです。オペラ「ベアトリスとベネディクト」はシェイクスピアの「空騒ぎ」をもとに作曲者自ら台本を書いているそうです。ピアノをひけないベルリオーズですがリストの伴侶カロリーネの強い励ましによってオペラを作る勇気をもらっています。
あの時代にタイムスリップするには あの世に電話してみる外ないのでしょうが(笑)こういう「詩的で超常的な調べ」という本を読みながら あの時代に思いを馳せてみるのは楽しいですね。

「ああ、人間にして唯ピアノが弾けさえすれば!」こんなに才能があるベルリオズ、 ピアノが弾けたらよかったのにね。 ショパンはピアノが弾けました。 外の音楽家たちはどうだったのかしら? こんなこと考えませんでした。

さいならさいなら


《 2015.08.03 Mon  _  1ぺーじ 》