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1ぺーじ

『印象派時代』福島繁太郎著の続きです。1948年(昭和18年)発行です。
この本は私には大変です。でも私もせっかく印象派が好きなのですから読んでみたいと思います。ていねいに書いてあるというか じっくりとりくんでるというか わかりませんがそう思います。


ドガも若い頃は、寸分もスキのない身なりをして競馬場に姿を現し、また夜毎にオペラに通って舞台裏の楽屋を訪れるという伊達者であった。ドガは人嫌いの変わり者の如く思われているが、それは老境に入ってからの事で、若い頃は決してそんなものではなかった。奇知縦横その諧謔(かいぎゃく)には恐るべきものがあった。
 しかしこの競馬やオペラを好んだのを、巴里のブルジョアらしい趣味だと簡単に片づけてしまっては行けない。
 敏捷な動作を好むドガにとって、競馬の馬ほど絶好なモチーフはなかった。幾世紀にわたって淘汰に淘汰を重ねた純血種の馬の走る姿は、現実の世界でドガの求め得るもっとも純粋なものであった。古典の端正を現実の目のあたりに見る純血種の良馬を「絹の衣に包まれたような神経質な裸体」と、当時(1877年)創められた早撮写真を用いて、正確に認識しようと試みた。
 ドガは高速度写真を利用したと伝うる者があるが、私はちょっと疑問に思ったので、写真の大家畏友野島康三氏に尋ねると、それが誤説でであることがわかった。野島氏の調査によれば今日の高速度写真なるものは未だ行われておらず、当時存在していたのは単なるスナップ・ショットであった。
ドガはこの研究を行うには面倒極まる工夫をしなければならなかった。写真期を四十台も並べて置き、馬が走って写真期の直前に来た瞬間、自動的にシャッターが下りる仕掛けをしたとのことである。
 この研究によると、今まで画家や彫刻家が馬の動作を扱うにあたって、かなり錯誤をしていたことが明らかにされた。
 従来絵画や彫刻に現れたる高速度に動作する生物の姿態は、多くは現実には存在せず、ただそうらしいと作家が想像したものに過ぎなかった。
 吾々が物体または事象を見たと知覚するには、目の網膜が刺戟された瞬間に、雑多の矛盾が知性によって、無意識に整理統一されるのであるが、その時に先入の観念が混入する余地があり、これが種々の錯覚を惹起する原因となるのである。「この目で見たのだから確かだ」とよく云われることであるが、錯覚が多く実際は不確かなことがしばしばあるのである。
 ドガがこの研究を行った当時に於いては、画家は写真を絵画の新来の競争者として、ことさら無視敬遠する態度に出る者が多かったが、彼は写真から学ぶべきことと学ぶべからざることを知りつくして、勇敢にこれを利用する積極性を持っていた。
 学ぶべきこととは何か。姿態の正確なる知識を得ることである。
 学ぶべからざる事とは何か、写真を引写して作画することである。かくのごとき人間の眼の、レンズ機械作用への屈服である。絵画の写真への従属であり、絵画の否定である。そこにはもはや画家が工夫したり、構成したりする余地がない。しかるに日本の油彩の中には、未だに写真を引き伸して作画して恥じない者のあるのはあきれるほかはない。

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ここにはドガが写真をどういうふうに扱っていたのかというのが興味深く書かれています。敏捷な動作を好むドガは競馬で走る馬を眼の辺りに見ることは 絶好なモチーフと出会うことなのでした。その「絹に包まれたような神経質な裸体」と賛美したドガですが その姿を正確に認識しようと試みることがこの写真を写すことにあったわけですね。
この為に面倒極まるくふうをしていますね。写真機を四十台も並べて置き、馬が走って写真機の直前に来た瞬間、自動的にシャッターが下りる仕掛けをしたという。

今だと写真技術は進んでいますが ドガが捕らえたかったような一瞬は可能なんでしょうか?
従来画家や彫刻に現れている高速度に動作する生物の姿態は、多くは現実には存在せず、只そうらしいと作家が想像したものにすぎなかったそうですね。このことも興味深かったな。実物よりもらしく描く、なんてことありますよね。それは個性ともいいますよね。
当時は写真を絵画の新来の競争者としてことさら無視敬遠する態度に出る芸術家が多かったそうですね。
写真という見たものが写るということが 絵画に影響を与えずにはいなかったと思います。それもまだまだ写すということは今のように簡単なことではなかったですからね。その機械を無視しようとしたり 「新しい機械に支配されたらいかんぜよ」ぐらいなこと当然思いますよね。でも目的がドガのようにしっかりしてる人は 呑み込まれなかったというわけですね。いつの時代でも こういうことはあるんでしょうね。
今はだれでも 何枚でも写せる時代です。私が写真に夢中になって なんでも撮っているうちに 「絵ってめんどくさいなあ」と思いました(笑)。やっぱり絵を描く人は じっくりていねいに描くことに取り組まなきゃね。つまり絵描きは絵を描かなきゃ ですよね。
えっそういうことじゃない?

ドガが人嫌いになったのは年取ってからなんですね。それって ほかの画家もそういうところあるんじゃないでしょうか。どうしてなんでしょうね。こんな写真で面白いしかけをやっちまう画家に興味でもって人が集まったかもしれませんよね。

私はドガのことがそんなに興味あったわけではありません。でも読んでみると かなり引き込まれます。みなさんはどうですか?

さいならさいなら


《 2015.05.06 Wed  _  ちまたの芸術論 》