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1ぺーじ

お初にお目にかかります。
『音楽と文化』河上徹太郎著 創元社 昭和13年12月15日発行です。
昭和14年になろうとしていますね。1938年 1939年というのは大東亜戦争から第二次世界大戦にだんだん近づいていってる そんな時代背景ですね。
私は音楽についてどれだけ関心があるのかしらということになると ないに近いのですが
ここにこんな古い本があるのですから ちょっと失礼して読ませてもらいますか。読めるかなあ?セピア色でっせ!

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復刻の序ー昭和二十一年秋

 第一部の「楽聖物語」は やや初心者向きに、通俗的且つ紹介風に書いてある。
とはいえ、通俗的とは決して世上一般の通説で書いたという意味ではない。むしろ私は、文献的知識に乏しいのを幸いに、常識論を排し、素直に自分の耳で聞いて、それによってできた一音楽史観に基づいて書いたつもりだ。といってことさら異を樹てたものもないはずだ。その間の私の良心は、いくらか楽器をいじった経験をたよりに、音楽を頭でこなす代わりに、音の持続を指先でたどりながら、自ら作家の独自性に聞き入ったことである。なおその上に望んだことは、各天才の中に「作家」としての偉大さや独自性と、「人間」としての個性とを出来るだけ識別したいということである。これは各芸術部門の作家論にあって大切なことであるが、音楽史論で特に我が国では誤られており、例えばベートーベンが簡単に英雄になっていたりするのを嫌わず思っているからである。然しこの点小論意を画さなかったものが多いのは遺憾である。
 第二部の「音楽雑観」は、その都度書いて来た音楽時評的な文章の中から、再読にたえ、本質論に触れたものを集めた。中でやはり中心をなすものは、大体十年余り来朝した(来日)世界的名手の演奏評である。といって、私は彼らに愛着を感じ、啓発もされたけれど、特に魂を揺るがすような影響を受けたというわけではない。ただ当時すでに時局の影響もあり、せっかくの今世紀一流の芸に対し、鑑賞家のかずのあまり寥々たるのを淋しく思い、わが愛好者達の忌まん対して抗議したい気持ちがつい私の論調に漲(は)っているのを、今にして認めるのである。それは当時の私の柔軟な感受性に対する感傷的な想いでをなすと同時に、今となっては中道で歪められたわが音楽普及史上の或るエポックっを物語るよすがともなっていることが思い併せられるのである。
 本書を終戦後復刻するにあたって、あまりジャーナリスティックな論文を二、三、第二部から除いた以外、すべて初版通りである。しかも全体から見てディレッタンチックなスタイルをなおさら表に出している本書をいまさら再版する意図は外ならぬ。批評に於ける伝統の解除と、鑑賞に於ける自主性の喪失とのためいまだオーソドクシーの確立されていないわが楽壇の為に、私のごときがアンデパンダンの役を一役買って出ることがまだ必ずしも不必要でないことを今でも感じているからである。

                           河上徹太郎

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もう 後悔が始まっています。
復刻版が昭和21年でたわけなんですね。さてこの河上徹太郎という人は どういう人なんでしょう。

さいならさいなら
《 2015.05.02 Sat  _  ちまたの芸術論 》