『印象派時代』福島繁太郎著の続きです。
この本を順番にたどっているつもりでしたが 137ページあたりに飛んでしまっていました。こうなったらその続きにいくより他ありません。なんのこと?ですが20ページから137ページに飛んだのですから。どうしょうかな。137ページの続きをはじめましょう。いずれにしてもドガの話なんですから。
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アングルについてはいかなる批評も許さなかった程、ドガはアングルを崇拝したが、アングルの古典主義とは彼の画風はかなり異なっている。
アングルは写実を尊重はしたものの決して写実主義者ではなかった。端正にして沈静な型式を求める古典主義者であった。かれは肢体の優美を追求して、脊柱は長くしなやかに、頸はいとも柔軟に、腿は滑らかに、そして体を包む線はすべて流れるがごとき理想美の型式に到達したが、ドガはかかる現実に存在しない優美を求めない。現実の肢体をあらゆる角度より観察して、無数の動作の姿勢をきわめ、その進行中の一瞬間の姿を最も正確に要約するクロッキーをしたためた。これを土豪としてアトリエ内において際限もなく追求し、ここに古典の均整と品位を与えんと苦心した。少壮の頃、ドラクロアの浪漫主義とアングルの古典主義の板挟みになったドガは、後半生をアングルの古典とマネーの写実との間に苦しみ通した。同じリアリストと呼ばれても徹底的のナチュラリスト、クールベーの野性的な写実とは全く趣を異にすることを注意しなければならない。
ドガは婦女の肢体に主としてモチーフを求めた作家であるが、彼の不幸な程冷徹な知性は、ルノアールのごとき感覚的な陶酔に身を委ねることを許さなかった。彼は何ものをもバラ色に見ることはできなかったのである。
静かに立ち、あるいは緩やかにに横臥している肉体の美しさ、例えばヴィーナスやオダリスクやオランピアのごとく、婦女のふくよかな肉体そのものが、美しさを最大限に発揮している姿は、彼の興味をそそらなかった。彼の興味は動作の姿勢に集中し、彼の眼には女性は一個の労働蜂としか映らなかった。
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まだまだ続きますが 今日は出かけなくてはなりません。
「彼の興味は動作の姿勢に集中し、彼の眼には女性は一個の労働蜂としか映らなかった」さて、どうでしょう。
さいならさいなら