『印象派時代』1943年発行 福島繁太郎著です。
私の好きな印象派の時代をこの本から教えてもらおうというものです。
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スウラーの運動よりやや後れて興ったゴーギャンの運動も、自然主義たる印象派に対する反動である。
ゴーギャン(1848年生)は印象派陣営の第二期の人としては最年長者であるが、中年からの転業者で、彼独自の芸術観を確立したのはスウラーよりもかえって晩い。1888年40歳の時であり、真にその画境が円熟したのは1891年、タイチに渡ってからである。
ゴーギャンはセザンヌに敬服していたが、本質的にはセザンヌとは全く異なる画家であった。
セザンヌはモネーより更に厳重に文学性を排除したが、ゴーギャンは反対に詩を絵画に取り入れた。詩を絵画に取り入れたというよりも、むしろ詩を絵画によって表現したという方が適当なくらい文学性を多分に持っている。
画面の均衡美のために物体の比例も変えねばならぬし、遠近法も変更しなければならないというゴーギャンの主張は、明らかにセザンヌに由来するものであるが、セザンヌの一つの特徴である色彩の充実は、デッサンの充実に他ならぬということをゴーギャンは理解しなかったのか、ことさら無視したのか、セザンヌの最も排撃した物体の輪郭を線で包むことをあえてした。これは浮世絵版画より暗示を受けたこともあろうが、物体を線で包んで静止観を与え、装飾性を強調したものとも思えるのである。この装飾性はゴーギャンの特徴であって彼は偉大なる装飾家たる素質を備えていた。
色彩に関してもセザンヌはあくまで自然に謙譲であり、物体固有色と光による色彩の変化との調和に腐心したが、ゴーギャンは装飾的配置のためには物体的固有色も自由に変更したから、人為的な臭いがきわめて強いと云わねばならない。
ポンタバン派またはナビス派と呼ばれる一群の画家はゴーギャンの絵画理論に共鳴した青年画家の群であるが、首領のゴーギャンがタイチに去ったので永続せず、各自それぞれの道をたどった。その中、モーリス・ドニはゴーギャンのブルターニュ時代のカトリック的装飾画を嗣いで、二十世紀の初頭において活躍した。
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タイチに渡ったゴーギャンですが、いまタイチはタヒチといっていますね。
セザンヌに敬服していたゴーギャン。 しかし本質的には全く違っていたとあります。 ここで絵画の「文学性」という言葉が出てきます。 かってみをぎさんが「文学性」という言葉をつかってました。 絵を描く側にも絵を見る側にもある「文学性」です。
ゴーギャンの絵を見てますと もうこれは長いお話のようにもみえます。
セザンヌは意識的にそういうことを排除しようとしていたそうですね。
なるほど。
「画面の均衡美のために物体の比例も変えねばならないし、遠近法を変更しなければならない」ここのところがゴーギャンとセザンヌの一致点なんですね。つまりなんですか「 遠近法も無視して描きたいように 配置したいように自由にやらせてもらいまっさ」というものなんですかね。絵を約束事にはめこむことから自由になりたかった人たちでしょうか。
私たちは 新しい絵画には自由がある。どうかいてもええんや!そういうことで突っ走ってきたというわけなんですねえ。はたしてこの飽くなき追求はどうなっていくのか。
でも、今まででもあったように「反動」というものがありますよ。
「自由を求めて」そうか・・後が続かない私でありました。
「物体を線で包む」この言葉いいですよね。ゴーギャンのこれは日本の浮世絵から影響を受けていたそうですね。セザンヌはそれをやらなかった。ゴッホもこの線で包むことをやってますよね。浮世絵がんばってたんですね。
ポンタバン派とかナビス派 面白い派ですね。
さいならさいなら