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『ピカソとその周辺』フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。
この文面のあとに文章が続きます。


サゴーは全部で七百フラン出すと言った。ピカソは拒絶した。画商は出て行って、それっきり姿を見せなかった。数日経ってから、画家は決心してもう一度彼の店に出かけた。
彼は常得意の買い主だったのに、今度は三枚の習作で五百フランしか出そうとしなかった。かっとなったピカソは外へ飛び出して、ぷりぷりしながら家に帰って来た。
 同じ交渉がじきにもう一度繰りかえされた。サゴーは今度はもう三百フランしか出さなかった。 必要に迫られたピカソは、とうとうそれを受け取った。
 このサゴーという男は思いやりもなければ、情も知らない古狸だった。彼はさる旧い薬店の中に画廊を構えていたが、店の方にはあらゆる種類の薬品があったので、それを病気の画家たちに気前よくくれてやった。私はそのころ重い気管支カタルにかかったことがあったが、彼がそれを糖尿病の薬で癒してやると言っていたことを覚えている。 
 サゴーは田舎に住んでいて、花の咲き乱れた大きな庭を持っていた。時には、彼が一抱えの花を摘んでピカソの家へ持って来るようなことがあった。
 「実は、これで習作一枚描いてもらって、それを頂戴しようというわけですよ」と、彼はピカソに言うのだった。
 それはとにかく、彼は駆け出しの美術家の将来の値打ちを嗅ぎ出すのにはなかなか勘のよい男だった。
 その余りにも勘定高い気性とは関係なく、彼もやはり絵画そのものが好きだったんだと、私は思う。なかなか狡猾な所のある男なので好感はもたれなかったが、ある種の大胆さと前衛美術に対する彼の趣味は喜ばれていた。この趣味と、金儲けのブルジョワを結びつけることを彼は知っていた。
 ピカソとアポリネールが、初めてマリー・ローランサンに会ったのは彼の店でだった。ラフィット街のクロヴィス・サゴーの画廊に舞い降りた(いかにして?)ペルシャ風の女性、ナイーヴで、しかもどこか遊び好きらしい、ナイーヴすぎて素直になりきれない小娘の様子、クリッシー大通りの絵画研究所の生徒のマリー・ローランサンは、この一党に加入した閨秀(学芸に優れた女性)画家の卵だった。

***

ピカソの描いたサゴーという画商 ピカソの絵を最初は習作3枚700フラン出すと言ったんですね。ピカソは拒絶します。安すぎると思ったんですよね。まだ名も売れてない画家たちの絵はこうして買いたたかれるんでしょうね。足元を見るというのか。まあだれもピカソがあんなすごい画家になるなんて思ってはいませんからね。こういうところから将来大物になりそうな画家の絵を掘り出して行くのも画商の仕事ですね。でも貧乏画家は少しでも高く売れることを望んでいます。このやりとりがここの文章です。700フランは500フランに下げられ三度目には300フランに下げられてれてしまいます。ひどいですね。ひどい画商だと言いつつも ピカソたちの前衛芸術にたいする彼の趣味は喜ばれていたと。そのころの前衛芸術はあまり理解されていなかったというわけですね。
この趣味と、金儲けのブルジョワを結びつけることをサゴーは知っていた。そう絵は金持ちがいて買ってくれないとはじまらない。

このサゴーの店でピカソやアポリネールはマリー・ローランサンと会っています。オリヴィエのマリー・ローランサンの観察はさえています。「サゴーの画廊に舞い降りた(いかにして?)ペルシャ風の女性、ナイーヴで、しかもどこか遊び好きらしい、ナイーヴすぎて素直になりきれない小娘の様子、クリッシー通りの絵画研究所の生徒マリー・ローランサンは、この一党に加入した閨秀画家の卵だった。」

気管支カタルの病気が糖尿病の薬できくのかな。あ、私も「気管支カタル」と言おーっと。

さいならさいなら
《 2015.04.05 Sun  _  ちまたの芸術論 》