『印象派時代』福島繁太郎著の続きです。
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ルノアールが一時印象主義の傘下にあった事は否定できない。しかし元来彼は外光そのものに興味を持ったのではなく、婦女の肉体が外光の下にバラ色に輝くのをこの上なく美しいと感じて外光の探究に入ったのであり、いはばブーシェ、フラゴナールの優美を印象主義の下に見出さんとするのが彼の意図であった。 やがて、かれは目まぐるしい外光の変化に疲れはじめた。外光のしたにあっては、静かに構想を練ることの困難を知った。煩悶(はんもん)と謎の時期が暫く続いた後、イタリアに旅行して、ルネッサンスの偉大なる芸術に感激して伝統への復帰を決心した。
彼はすべて根本からやり直した。
輪郭の固い、デッサンのきびしい、諸謂アングル期の作品が現れた。1880年頃である。
この時代の野外の水浴裸婦図を見ても慎重に構想を練って群像を組み立て、各々の人体に就いても神経質な迄の注意を払っている。また印象主義の如く、過度の光に対する興奮も見られない。印象主義の迅速にして単純なる方法とは全く趣きを異にしている。
この輪郭の固さは、暫時にして柔らかい肉体の下に隠れてしまったが、デッサンに対する執着は決して無駄ではなかった。色彩の絢爛たる画面の奥に厳しいデッサンが潜んでいるのである。
後期と云われている、1890年以降においても、筆触を分割し、画面を光の部分と陰の部分とに分つことなく、光を全画面にちりばめる手法は、印象派に由来すること明らかではあるが、その色彩の塗りかたはモネーのごとく本能的に自然に接近したものではなく、伝統的な透明法を用い、ドラクロアの手法に近づいている。
彼はブーシェ、フラゴナールの伝統を近代的に解釈して、更に豪華な大芸術にまで到達させた者と云うべきである。
しかしながらルノアールの芸術は、、当時にあっては理解されなかった。漫然印象主義に混同されて、印象派中の婦女と子供を巧みに描く画家としてみられたのみであった。
従って当時にあってはルノアールの影響、または反響として見るべきものなく、二十世紀に至って暫く理解され、ピエール・ボナール、梅原龍三郎等に影響を及ぼしている。
セザンヌもルノアールも、革命的な印象主義よりおちつきをとりもどして、伝統への復帰を試みつつ、各々新しき境地を開拓したものである。
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しかし こうしてルノアールの絵のたどってきた道を見ますと時代や歴史の流れが画家たちにもあって そんな中でそれぞれの画家が印象主義を自分の中に取り入れていたり 反発するところもあったりするということなんですね。
ルノアールの画集をみてますと印象主義的な絵の後 イタリア旅行でルネッサンスの偉大な芸術に出会って感動して デッサンを改めて厳しくやるというところにいきますね。 ところが私がみた画集ではそのことは「ちょっとした心変わり」にしか受け止められていないように思いました。 というのもルノアールの絵の魅力はこのなんともいえない美しい肌の感触だったからです。 それではイタリアの絵画にふれたことは無駄であったかと言うとそうではないと著者はいっています。 イタリア旅行の後では 色彩の絢爛たる画面の奥に厳しいデッサンが潜んでいると。
「彼はブーシェ、フラゴナールの伝統を近代的に解釈して、更に豪華な大芸術にまで到達させた者というべきである。」私が見た画集にこんなこと書いてあったかなあ。
この評価はルノアールにとっても重荷になるんじゃないかなあ と私は思ったんですが どうなんですかね。自分があんまり考えて描いてこなかったせいか そんなことを思ってしまうのでしょうか。
1943年ごろに出たこの本の時代の考え方と戦後だいぶしてからの考え方の違いはどこかにあるんでしょうか。
このようにその時代の絵に関する考え方があるのかもしれません。この本は時代としてはかなり前です。もしかしたら現代の考え方とちがうかもしれない。そこも見てみたいと思いました。 今われわれが受け止めているものも 多くの芸術家たちが勝ち取って来たものであると同時に いつか否定されるかもしれないことでもあるのです。その時代の中にあっては 当然のようなことでも。
そしてそのつど光をはなったそういう絵が歴史に残っているのかと思ったことです。「前のものを否定する」これは前のものが消えてしまうということではないと。われわれは自分の好きな絵に出会うと同時に「長い絵の歴史」を知ることでよりいっそうその深さを教えられるのです。
さいならさいなら