--------------------きょうは、「文体論パート1」です。"必要なことを簡潔に力強く表現する。というのが標語やポスターの要件だったのであります。手紙も、不要なところのない、簡潔な文章がよしとされていたわけです。「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」と、昔の男はムダ口をたたかなかった。最近でも三船敏郎は、黙ってサッポロビールを飲むのが男である、という風に主張していたもんです。しかし、このところ、そういうタイプのコピーは、古いことになって、一見したところ、なにをいいたいのかよくわからない、でもって、じっくり読むと、これがどういう意味なのかわからない。結局のところ、なにがなんだかわかんないようなものが流行であります。今回の、このコピーは、ちょっと見には古いタイプの、言葉少なの要件のみ、という風に見える。則ち、「車とめるな 110番」七五調になってる、五・七・五調になってる、五・七・五とくる最初の五も省略してるわけで、これはいよいよ「おせん泣かすな」「黙って飲め」のほうだ、と思うわけです。しかし、これを立ち止まって、じっくり気分で呼んでみると、言葉が少ないあまりに、さまざまな誤解の余地が見えてくる。「車とめたら110番しちゃうぞ」だけの意味以上にイロイロ誤解できる。「車とめるなおれは110番だ」「おい110番、車とめるなっていってんだよ」「そこで車と"めてる"110番!ただちにその"める行為"をやめなさい」という風にだ。あんまり簡潔すぎるのも、妙でおかしいのである。(書いた人は誰でしょう?)みをぎ
みをぎさんおたよりありがとうございます。
写真を見ると寒そうですね。これは雪ではないですか?みをぎさんのところもふったのですか?
すべってころばないでね。
「文体論パート1」一回読んだだけではよくわかりませんでした。そうそう、この書いた人の名前は「南伸坊」だということでしたね。これもわかりませんでした。わからないずくめの私ですが、2、3度読んでうくうちに、おしまいには笑ってしまいましたが。
南伸坊はおにぎり顔から、赤瀬川原平さんと「路上観察」などで、トマソンしてる人ですよね。で、力をぬいた発見の名人たちだけど、笑いの名人のようです。
ほんの少し前までは「必要なことを簡潔に力強く表現するというのが標語やポスターの要件だったと。手紙も不要のところのない、簡潔な文章がよしとされてきた「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」(上から目線やわあ)とムダ口をたたかなかった。最近でも三船敏郎は(「無法松の一生」の映画見たところです)だまってサッポロビールを飲むのが男である(これはけっこう前の話)と主張していたもんです。しかしこういうのは古いといわれるようになった。一見したところ、なにをいいたいのかよくわからない、でもじっくり読むと、これがどういう意味なのかわからない(ここらへんから笑い始めて)。 結局のところ、なにがなんだかわかんないようなものが流行であります。
「車とめるな110番」七五調になってる、五・七・五調になってる、五・七・五とくる最初の五も省略してるわけで、これはいよいよ「おせん泣かすな」「黙って飲め」のほうだ、と思うわけです。(ここらへんがややこしかった、と「ややこしいと思う」と「わからないという信号がでる」のりばあなんです、はい)これを立ち止まって、じっくり気分で読んでみると、言葉が少ないあまりに、さまざまな誤解の余地(余地という言葉が面白い)が見えてくる。
「車とめたら110番しちゃうぞ」(ここら辺で笑いが)だけの意味以上にイロイロ誤解できる(誤解できるのか)。 「車とめるなおれは110番だ」(いったいそなたはだれだ?) 「おい110番、車とめるなっていってんだよ」(しばし考えてから、そうだね) 「そこで車と"めてる"110番!ただちにその"める行為"をやめなさい」という風にだ(高給笑いだ)あんまり簡潔すぎるのも、妙でおかしいのである。
すいかのタネを食べながら(突然ですが、「すいかのタネを乾燥させて塩味にして」を買ってきたので)コーラを飲む行為をしています、私は。つぎは「かみかみこんぶ」に行く予定です。(あの、コーラのふたはなかなかあきません)
赤瀬川原平さんと南伸坊さんとは顔兄弟(新語)のようです。血を分けた兄弟、肉体兄弟(新語)、耳兄弟、口兄弟などと新語は続きますが。
おたよりの最後の文章、えらいあいてますね、どないしたんやろ。笑ってね。
あっ、みをぎさん「パート2」お待ちしてます、頭の中そうじしながら!