『植草甚一コラージュ日記』の続きです。
この文面の次、きりのいいところで、書き写しました。
用意に持参したミカンとサンドイッチを帰り道に歩きながら食べ、11時に帰ってから年賀状をまた少し出す。菅野さん留守中にテープ原稿の残りを取りにきた。風呂に入って12時半になったとき、とても眠くなって「太陽」の原稿が書けない。昔の人が ペンを使ったとき書いた字のうえに砂をふりかけたのが、はじめて分かった。
1月5日の続き。「アイランズ」の宮原さん、この前出て来た人、そうそうおもちゃ屋さんでこの人のために腕時計買ってたなあ。EBAUCHEの時計? 使い捨てのね。信玄もちの黒蜜味、おいしそう。 「マガジン・リテール」のミステリ資料、をゼロックスに。よくゼロックスっ聞いたけど、ゼロックスが何だか分からないうちに時代は先に。今でもゼロックスあるのですか? 植草さんは売れっ子だね。いろんなところから原稿依頼がきてます。「なんの気なしにめくった犀星(室生犀星)の「女の図」がフランスの最近の小説みたいに強情な気違いじみた強さがあるので、ゲラ直しよりこっちを読んでいた方が、ずっと面白くなってくる」。犀星と名前だけいわれると、どこのだれだかわからないよ。(私だけかしら?) そのころの最近のフランスの強情な気違いじみた小説って、サガンとか(ちゃうよな)。そうかそのころの最近は今頃の最近よりずっと昔で、フフフレトロ。(こんな言葉あんのかよう)
1月6日。お正月いい天気でよかったね。我と鳥でなんと読むの?漢和辞典を見よう。18画、あるかなあ、ないぞ〜、発音がわかるとパソコンはいちころんんだけど。ちょっとお母ちゃんの世代は(植草さんはもう少し若いんだっけ)むずかしい漢字をけっこう平気で使いますよねえ(平気とは関係ないか)。おかあちゃんが明治43年生まれで年表早見
表に乗ってる。お父ちゃんは明治41年生まれやからない。ええっ!サプリメントの手帖便利やけど、お父ちゃんはずさんといてよ。で植草さんは、っと、・・明治41年。お父ちゃんと同い年や。ちなみにおとうちゃんはさるどし、ほんでえ、何月生まれやったかなあ)あった12月2日、生きてたら100歳。植草さんは昭和54年に亡くなってる。お父ちゃんは(公私混同するなよ)昭和54年に死んでる、わー、いいしょやん。運命の糸は何色かしらん。お父ちゃんと植草さんと私は結ばれました!(調子にのるなよ) しかしどこかお父ちゃんと植草さんと私は似ている。(ほんま?)
なんの話?1月6日は8時半に目があいたんだな。結構早いじゃない。「太陽」か、お父ちゃんも私も「太陽」が好きだった。どんなところに植草さんの原稿があったのかなあ。露地の石井さんのところでグローブ・プレスの芝居台本、3冊5百円。西武劇場で「エクウス」を見る。そうそう、みをぎさん、はやく「それはね、」って話してくださいよう。表現主義派か。どういう主義なの?2時間45分の舞台ですか、がまんできるかなあ(できないでしょう。いねむり派だから)。カーテンコール、よかったんですねえ。ポール・ホーガンの処女作「天使のあやまち」の話も。(知ってるの?)帰り道ミカンとサンドイッチ食べながら。 例の我に鳥のペンをつかうと字のうえに砂をふりかけたとあるけど、これはどういうことかいなあ。「太陽」の原稿は書けませんでしたね。 男の日記やなあ。まあ、女の自分の日記と比較してでの話ですけど。十分に時代をあらわす日記。