これは海沿いの町でくらすSちゃんからの1981年の手紙です。私たちが大阪にいたころ行き来があり、小さなこどもたちもS ちゃんが遊びに来てくれるのを楽しみにしていました。それが「一回家に帰ってくるわ」と言ったきり、こちらには帰って来ませんでした。両親と祖母のもと、あちらで再び暮らすようになったのです。
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花の盛りもここらでも終わり、花の後もペンキが剥げたようで侘しいもの。4月の15日(今日)免許の更新で松江に出かけました。今度は5月8日に講習でまた休みをとって行くことになります。 松江も久しぶりで、天気のよいのも手伝って街中を少し歩いてみたくなり、静かそうなところを選ってアンアン ノンノの気分で ぶらぶら。 大橋を渡っている時、分水鳥のひなだと思う鳥のことを思い出しました。(2月中頃 寒日のこと)、見合いの最中で松江のこともよくわからず、ついて歩いていました。今とは逆のコースだったと思うけど信号待ちをしていたところが、何か車の動きがおかしいので見たら、交差点の中に分水鳥のひながいたのです。飛びもできず、羽をバタバタさせながら小走りにあっちによろよろこっちによろよろ、その都度車の運転手は車を止めたり通りすぎるのを待ったり。交通量の多い所、とたんに車は数珠つなぎになるしで、交差点の中にも入れずです。こっちからは車にひかれないようにと信号の変わるのも忘れて見ていました。2、3回信号がかわったころに大橋の歩道をあるきだしたので、私たちも安心して歩き出しましたが。この鳥も交通ルールを守れないらしくまた大橋の車道のところに行き、また車がノロノロしだしたので、つかまえようとして追っかけましたが、何分にも小さいもののくせに、変にすばしっこいのです。運転手の好意もあって、やっと向こう側に渡りきり歩道のほうにすたこら。なんとも可愛いやらおかしいやら。無事に橋を渡って湖か川におりたことを祈りました。 松江の街も前と変わったような変わらないような。こちらに帰ってより、船の上から波をみていたり、仕事におわれていたり。車を運転していてぼんやり外を見ていて角を曲がるとふいに目の前に昔のままの木の橋がかかっていて、それが川面に写っていたりする時、時間が止まって万物が動きをやめて真実になった雰囲気を味わいます。そのくせ頭の中だけぐるぐる巻きになって時間はたっていないのに随分と時間が過ぎてゆく。目の前がかすんですべてが空になった何が何だか分からない状態になります。自分一人が、遠くに取り残されてきた焦りを胸いっぱいにひろがらせて押しつぶされてゆく。仕事についたら消えるものと思っていたのにやっぱりこれを感じるのは地域の問題かしら。 大阪にいる時は、季節を感じる為に歩き回ったことが、その中にどっぷりつかってしまうと、鈍感になります。
それと、見合いってめんどうですね。今のところ見合い恐怖症になっています。男性に私の条件を云って全部のまれるとひっこみつかなくなるものですね。私が相手のことがわからなくなるもの。
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Sちゃん1981年のおたよりありがとうございます。分水鳥ってどんな鳥だったかなあ。
そのときのみんなの様子が手に取るようにわかって、笑ってしまいました。いつもこういう光景が見られるのかなあ。 お見合いの話はうまくいかなかったのですね。「男性に私の条件を云って全部のまれるとひっこみつかなくなるもんですね」そうか・・・わたしが結構の回数やったお見合いのときと逆ですね。わたしはとにかく誰とでもはやく結婚したかったのだけど、Sちゃんの相手の男性もそんなかんじだったんでしょうね。でも私のお見合い話はさんざんでした。Sちゃんはお見合いはこりごりになり、私もそう思ったけど、その先がちょっと違っていたのかも。「今度こそ断わられないように頑張らなきゃ」と、「お見合いやめた」となるまでだいぶかかりました。あのころ、こうしたお見合いの中で、今までの自分が全否定されたような気分がして、なんともなさけないのでした。絵がちょっと得意なことも、仕事でだいぶミスをしなくなったことも、ちびだけどかわいいはずだと思い込んでいたことも。 「お見合い大作戦」、テレビでやっていますね。わたしは今だにその番組を見て「そうか、ここらへんでああやったからこうやったんやわ(代名詞ばっかりやん)」と考えたりしている自分がいたりして。
Sちゃんのあの頃の気持ち、よく書けていますね(ほめていいもんやら)。
おたよりおまちしてます。昔のでいいから(笑)。今の話もききたいな。