2015.09.17無題

先日の朝5時頃の空。秋の空になってきています。
今日は朝から国会中継を見ては、作業し、音をそのまま流しっぱなしで、出荷作業。
うーむ、ついに来てしまったか。
意外と怒りよりも、かなしい気持ちになるものであります。このかなしい気持ちは、どういうところからきているのかなあ。と、ぼんやり夕食の片付けのお茶碗を洗いながら考えていると、この安保法案の議論が出だしてから、ずっと思い出すことがありました。
小学校何年生だったか、低学年だったか、高学年だったか。
社会の授業中、先生が教科書を読みながら時代を追っていくとき、暗く悲惨で地獄のような怖い戦争のページが終わった後、日本には、これから絶対戦争はしないという憲法9条ができて、そして三権分立という、とてもよくできた制度のもと政治があるのだということに、子供心にとてもほっとしたのを覚えています。なんというか、世の中っていうのは信用できるもの。というような安堵感でした。
これからずっともうあの怖い戦争のページに行くことはないのだ、ということと、日本っていう国はなかなかいい国になったのだなあ。と、子供心に誇らしげな気持ちになったのでした。
そんなある日の授業での気持ちを、最近よく風景として思い出すのです。
子供心に感じたその安堵感っていうのは、意外と深く根っこをはやしているもので、それをあんなにあっさりくつがえされると、なんとも不安なきもちになるものです。
戦争っていうものは、ほんとうにこわい。体験していないけれど、わかります。
映画や本や、テレビのドキュメンタリーや、朝ドラも戦争の時代にはいるのが、入る前からこわい。
こわいから、少しでも近づきたくない。近づくようなことは、なにがなんでもいや。それだけです。
でも、安保法案がでてくるような世の中って、どんな世の中なのか?というのが知りたかったので、この間読んだ、伊勢崎賢治さんの「
本当の戦争の話をしよう」は、とてもわかりやすかったです。
あの本を読むと、戦争は人間の逃れられない性(さが)なのか。という、絶望的な気持ちにもなったりもします。
でも、そんな完全ではない人間だからこそ、その人間を縛る法というのは絶対必要なのですよね。
その本にも書いてあったように、9条のような世界でも珍しい憲法を持っていて、2度も原爆を投下されたという事実もあって、それなのに戦後、すごい勢いで経済発展もしていて、戦後70年間の世界からみた日本の在り方をつかって、安倍さんのいうような、今の変わりゆく世界情勢の中で、日本という国がほかの国にはできない、できることって結構あるのになあ。と、思います。
世界と同じような国にする前に、そういう日本にしかない歴史のオリジナリティをもっと深く考えて、すばらしいアイデアのもとに外交できる国にしていけたらいいのになあ。と、思います。なんていうのはただの理想なのかなあ。
猫にはわかりまへんなあ。