2015.01.25子育て記録・続

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1月は、のんびりしている。
わたしは、このときどき訪れるのんびりした日々が、たまらなくうれしい。

でも、ずいぶん前の20代の頃の大阪でひとり暮らしをしていたときの、ずっとのんびりしていた日々を送っていた頃のわたしは、こののんびりがとても居心地がわるく、ただの焦りと、落ち込みのほうがつよかったものである。

こののんびり期間にやりたかったことは、子どもが生まれた時の写真を現像に出したり(え!今頃!)たまっている会計書類を片付けたり、つぎのシーズンのファイルボックスを作ったり、ずいぶん前に買ったIKEAの家具を作ったり(忘れかけそうだった)無印のボックスを作ったり(なんだかそんなの多い)いらない服は処分したり、トイレの壁に貼ってあった、ハヤオのトイレトレーニングのシールの紙をそろそろとって、壁のテープ跡を消しゴムできれいにとったり(いやに具体的)、録りためてきたドラマを少しずつ見たり。
ひとつずつ片付いていくたびに、なんだかとてもいい気分。IKEAの引き出しは苦戦して途中で投げ出しそうになっていると、横で仕事をしていただんなはんが、見かねて助けてくれてなんとか完成。
ああ、のんびりした毎日って、なんかいいわああ〜〜と、コープさんの注文票を書きながら思ったりする。


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1月22日は、ハヤオの4歳の誕生日だった。
ケーキは、デコレーションだけ手づくりしてみる。美味しそうなイチゴは伊勢のお義母さんから。真ん中にクリームをいれすぎて、上に飾り付けする用のクリームが足りなくてあせった。
旗のイラストは最近ハヤオが大好きな、ゆきだるまのるーの絵を描く。おーなり由子さん、(読んでくださっているかどうかわからないけれど)ハヤオはるーが大好きです。ゆきだるま家族の歌をお風呂にはいっているときや、トイレでうんちを頑張っているときに、歌っています。

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誕生日の飾り付けもやりたかったのだけど、全然準備していなかったのでA4の紙を3枚つなぎあわせて、垂れ幕をつくっただけ。(でもこれが一番よろこんでくれた)

この1年は、子育てにおいてはなかなか悩んだ時期もあった1年だった。
ハヤオは普通よりも、言葉が遅かったのでなにか障害があるのかと悩んだりもして、ちょっとのぞいたネットの負のオーラ漂うネット地獄に陥ってしまったこともあったのである。
そんな中、トイレトレーニングもうまく進まなかったので、この子はわたしの言っていることが理解できていないのかも、と考えだすとますます不安になってきて、先の見えない暗くながーいトンネルの中にいるような気分にもなったりしたものである。
不安に陥りだすと、困ったもので息子の行動のひとつひとつを、なんかおかしい・・というふうに見えてくるのである。そういえば、あのときも、このときも!と、止まらない不安地獄に陥っているわたしを見て、だんなはんが一言。

「おいおい、まてよ。おまえ。もっと自分の勘を信じなさいよ。」

ネットや本の情報よりも、他人の一言よりも、自分の目で見ている息子を信じなさいよ。と。
ほんまにハヤオのこと、おかしいって思ったこと、ある?子どもってそんなもんやん。

なんだかはっと我に返ったところがあり、確かにわたしが不安に思っていることってなんなのだろうか。と、はたと思ったのである。根拠のない不安に覆われていると、実際見えているものが見えなくなってしまうところがある。
そして不安に思っていることを具体的に冷静な頭で考えていくと、仮に言葉が遅いことで障害があるかもということが、はたしてそんなに恐いことなのだろうか。と。
たとえなにか障害があったとしても目の前にいる息子が、ある日突然なにか別なちがう存在に変わるわけでもなく、ハヤオはハヤオであり、誰かによって奪われるわけでも、ある時突然いなくなってしまうわけでもないのである。
そんな当たり前のことが、なんだかふと、我にかえるじゃないけど、そんなような気分になって、わたしが怖がっていることって一体なんだったのだろう。と、思ったのである。


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過ぎてみれば、それもまた子育ての醍醐味でもあるのかもしれないけれど、きっとこれからも来るであろう子育てにおける壁がきたときに、このだんなはんの一言はしっかりと覚えておこう。と思ったのであります。「自分の勘を信じなさい」
だんなはん、トイレトレーニングは全然助けてくれなかったけど、ときどき、いいこと言う。
そして、トイレトレーニングはこの後、しばらく休憩期間にはいり、オムツにまた戻して、トイレの声かけだけするようにしましたよ。

いつしか、わたしがなかなか妊娠しないときに、周りでは妊娠ブームで(ブームっていうのもないけど)なかなかそれもまた辛いなあという日々があったのですが、そんな時に心の底から友達や知り合いの妊娠をうれしがっているだんなはんを見て、ちょっとびっくりしたのですね。けろっとした顔でそれとこれとは全然別やん。という一言。これにも、なんだかはっとさせられるものがありました。
だんなはんが言っていることは、当たり前のことで、いいことをいおうと思っていっているわけではないのですが、(これが大事)自分が勝手につくった不幸地獄の中にいるときは、そんな当たり前のことを、さらりと言われると、タイミングにもよるけれど、はっと我に返ったりすることも、ときにあります。

でも、なんでもスムーズにいかないほうが、同じように悩んでいる人の気持ちがよ〜〜〜くわかることがあります。
スムーズにいくと、立ち止まらないからそのことで悩んでいる人の深さをしらずに傷つけてしまうことをいってしまうこともあるので、そのことを知れて本当によかったと思う。

ただ、この一件でみえてきた、子育てをとりまく環境。
周りでも、同じように悩むお母さん友達が少なからずいますが、2歳までにはここまでできていないとおかしい、3歳までにはここまで、4歳までにはここまで。と、ほかにもいろいろとなんとなくの定義があって、それに当てはまらないと専門の相談所にいくべき。という概念があって、実際わたしたちも、そのようなところに一度相談にいってみてはどうでしょう。と言われたことも何度かありました。
でも、わたしたちは結局一度もそのようなところへは行かなかった。わたしは、すぐに行ったほうがいいかな。と思って、なんだか焦りながらだんなはんに相談したものだけど、やはりここでもだんなはんは、「ええ〜そうかあ〜?絶対だいじょうぶやで。いかんでいい、いかんでいい」と、言って、そのときはなんだかこの人は今の子育て事情をわかっていないのだわ、と思って喧嘩になったりもしたのだけど、でももうしばらく様子をみてみよう。ということで、何度かその機会を見送っていたのであります。
でも、保育園の先生に相談したり、もちろん親や友人にも相談することで、なんとなく見えてきた社会というのもあって、(みんなそれぞれいろいろな意見を言ってくださった)それも踏まえて、そのような施設の専門家が今の段階でおそらく言うようなことも、想像できたので、それを聞いて夫婦で不安になるよりも、今はやっぱり自分の勘を信じて、様子をみようじゃないか。という結論になったのである。夫婦で、よく話あってきめたことだった。でも二人とも絶対的な自信はないので、これでいいのだろうか、という気分も行ったり来たり。
でもこういう話しあいを夫婦で何度もすることで、ある種の覚悟もできてきたところもあり、わけのわからない不安地獄ではなくなっていき、そうだったらそうでこうしよう。とか、自分たちはどうする。という、もっと冷静で具体的な話し合いになっていったのである。

そして、その頃くらいから、ハヤオの言葉はどんどん増えていき、それと同時にオムツもとれていったのである。
4歳(もしくは5歳)ころまでは子どもの成長スピードは、個人差がかなりあって、保育園でも同じクラスで4月生まれと3月生まれだと、この頃の差はかなり大きいので、体の大きさも言葉や態度なども、ほかの子と比べて我が子は・・・と思うことも多いのだけど、でも、そういうときは、かわいい時期が長く感じれてよかった。と思うくらいでいいのだと思う。
実際、言葉をしゃべりだす前までは、赤ちゃんの雰囲気がまだ残っていて親からしたら、たまらなく可愛いのである。そしてまた今はいちいち、言葉をしゃべったり、あたらしい単語がでてくると、感動もひとしお。
夫婦でおなじように悩んだかいあって、だんなはんともいちいち、顔を見合わせて「よかったなああ」と感動しあうこともできるのであります。

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最近、ほんとうによくしゃべるようになったハヤオは、
「ハヤオくんは大きくなったら、本屋さんとケーキ屋さんと、お父さんになりたい」のだそう。そして、「ととみたいな、お父さんになりたい」と、言っている。それを聞いてだんなはんに言ったら、泣くかな?と思ったら意外と泣いていなかった。


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バーンシェルフでひとつ年上のようちゃんと。
言葉がしゃべれるようになってから、子ども同士のコミュニケーションがとれてより、仲良くなったように思う。

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いや〜でも、きっとこれからまだまだどんどんくるぞ、この子育てにおける親に投げつけられる難問。その都度、親は試されるのだろうなあ。いややなあ〜

はてさて、人生はつづいていきます。